昨日5年前に行ったアメリカ旅行について記事を上げました。
どうして急に5年も前のことを書くに至ったかといいますと先日ネットニュースで飛び込んできた内容がきっかけです。
ニューヨークで邦人ピアニストが暴行された知らせにどきっとしました。
この旅行ではジャズピアニストとしてニューヨークに渡っていた高校の友人を訪ねてもいたのです。
まさか彼女じゃないよね…と不安ながらにそのニュースを読むと、彼女ではなかったのですが心が辛くなる内容がそこに。
そしてふと彼女は今どうしているのだろうかと連絡を取り当時の旅行のことを思い出してみたのです。
ピアニストとして生きる
インターネットで彼女の名前を検索してみるとなんと今もニューヨークで活動している事がわかりました。
messangerで連絡をしてみると海外とは思えない、ほんの数秒で返信が。
相変わらずの元気っぷりで一安心です。
そしてCDを出すにまで躍進しているご様子。
「すごいね!」とメッセージ送ると「すごいかどうか知らんけどなんとかピアニストとして生きていけてる~」と返事が。
それがすごいと言うのよと。
彼女と私は高校の生徒会が同じだったのですが当時からピアノが上手で合唱コンクールではよく伴奏を弾いていた記憶があります。
でも音大ではなく理系の学部に進み、しかも大学院まで進んでいたのでその進路を途中で投げうって突如ニューヨークに行ったのは意外すぎて驚きでした。
旅行で訪れた際、ニューヨークのジャズバーに連れて行ってもらってこれまでの経緯などを聞くとこれまたびっくり。
院を卒業してからでもいいじゃないかというご両親を押し切ってどうしても今行きたかった。
英語も大して話せないのに来てしまったと。
アメリカでスクールには通っていてそのお金はご両親が工面してくださったみたいですがその他生活費の一切は当時から自分で稼いでいました。
「これからどうするの?」と聞くと「気が済むまで音楽やったら日本に帰ってOLする。OLに憧れがある。」とのこと。
せっかくニューヨークに飛び出したのになんでまた~と二人で笑いあっていましたが、結局今も彼女はピアニスト。
なんだかそれを知ってホッとしたというか、このままもっともっと音楽の道を突き進んで欲しいと願わずにはいられませんでした。
タイミングは突然に
17歳当時を何度振り返ってみても彼女が海外に飛び出していくような要素は見当たりません。
そんなタイプではなかったのです。
就職活動に際してやりたいことがないから大学院に進み、進んでみてやっぱり音楽がやりたいとハンドルを切り替えたと言っていましたがそんなにジャズが好きだったなんて知りませんでした。
それにしても逞しい…あのニューヨークで一人でやっていくってなかなかできないこと。
そして何より8年近く続けているのは本当にすごいことだと思います。
私が訪れたとき彼女はバーで演奏しながら生計を立てていたのですが、突然この曲を演奏してと言われてもすぐに対応できるように頭の中には何百もの楽譜が入っていると言っていました。
楽譜と言ってもジャズの楽譜はメロディーとコードだけなのでどのようにアレンジしていくかはその時の自分の引き出し次第。
全く同じ曲は二度と演奏できなくて、その刹那な感じがまた良いと言っていたのを覚えています。
ジャズのコードの読み解きは数学に通ずるものがあるらしく理系のバックグラウンドもそういうことなのかと納得したり。
二軒目の演奏が終わったあとホテルに帰る私と一緒に旅行についてきてくれた友人。
見送りがてら深夜までやっているという彼女お気に入りのクッキー屋さんに連れて行ってくれました。
真冬の深夜の凍えるようなニューヨーク。
気温はマイナス10度とかそんな世界です。
もちろん雪も積もるし路面も凍っていました。
外は寒いはずなのに身体はなぜか熱くて3人で出来たての甘いクッキーを食べました。
甘ったるくて大きくていかにも太りそうなクッキー。
沢山の一流のショーを見た旅行なのに、こんななんでもないシーンが意外と鮮明に覚えていたりするものです。
自分がマイノリティとして海外で暮らすことは見えない苦労を伴うことです。
それに加えて最近のアメリカは物騒なニュースばかりが放送されていて本当に本当に心配です。
でもそんな諸々を差し引いてもジャズが好きな彼女。
日本からいつまでも応援したいと思います。