こんにちは、花息吹の小川まゆ子です。
毎週のコラムも3回目を迎えました。
いつまで続けるか未定のこのコラム。
無理して書くといい文章が書けないことも身をもって知っているので(一時期、とにかく更新だ!と意味もなく書きまくっていた時期があります)、書けることがあるうちは書き綴ってみようと思います。
さて今日は、前回の発信ヒストリーでも書きましたが2018年頃から発信してきた身として肌で感じる世の中の変化、そして自分に訪れた変化について。
宜しければ最後までお付き合いください。
テクニックとトレンドに世の中が飽きている
“目が肥えてきた”と言ってもいいかもしれないですが、明らかにこの3~4年ぐらいで発信の受け手側は映えなどのキャッチ―なものに釣られなくなってきている、そう感じています。
私が発信を始めた2018年当時は、フォロワーの数が大事だったりとにかく映える写真と世界観、SEOやアルゴリズムを分析した投稿が人気を博していて、個人で仕事をしたいと思ったらまずそこを目指す。
みたいな雰囲気が確実にありました。
フォロワーの数の増やし方を実践してみたり(今思うと無意味なことしてたな…)
投稿写真を撮るのに小物をわざわざ買って、何枚も何枚も撮っては演出を徹底したり(それはそれはすごい労力を割いていました)
いくつものアプリを駆使して編集し
ハッシュタグの付け方や最適なタグの数を調べたり…
そういうのがある意味当たり前だった気がします。
どこが境目だったかはっきりわかりませんが、肌感覚では2022年ぐらいから「なんかもうそういうのお腹いっぱい」という雰囲気に世の中がどんどん傾いていった気がします。
いや、潮目はもっと早かったのかもしれません。
今ってフォロワーの数はそんな重要ではないし(それよりちゃんと関わりのあるフォロワーがいることの方がよほど重要)
フォローバック目当てのいいね押して回るなんてしてる人なんて、きっとこの記事を読んでくれている人の中にはいないでしょう。
SEOのアルゴリズムも頻繁に変わる上にオープンにはならないので詰まるところわかりきれない。
一番有用なSEO対策はコンテンツをきちんと充実させる、という本質的なところに尽きる。
そういう理解が浸透しきっているのかなと感じています。
おそらく見る側のネットリテラシーというか、本物なのか見栄えだけなのかを見極める力がものすごいスピードで急上昇したのだろうと思います。
地味でも必ず伝わる人には伝わる
私にも好きでフォローしている人や、毎回楽しみにブログを読みに行く人、更新されたら必ずYoutubeで動画を見る人がいます。
その人たちを思い返してみても、別にリールを撮っているわけでもなくただ淡々と投稿を更新されていたり、無料開設のごくシンプルなテンプレートのホームページだったり、部屋で撮っているんだろうな~という喋りっぱなしの無編集動画だったり。
特になにか”デコった”ことはしていないんですよね。
それでもその人たちの発信って惹かれるものがあるしフォロワーも読者も視聴者も大勢ついています。
その理由は発信者の想いがそこに感じられて、きちんと中身が詰まっているからに他ならないからでしょう。
文章は読まれなくなったといわれる時代ですが、意外に人って読んでくれてるという印象は全然あります。
少なくとも私は、長文welcomeタイプで結構読みます。
ですので、他人と比べて自分のSNS、ホームページが映えていないなぁと感じても全然大丈夫だし、そもそも感じる必要がありません。
そんなのやっていくうちに少しずつ、写真の撮り方とか自分の好きな世界観とかそこそこ仕上がってきます。
映えなくてもそこに想いがあるなら、実直に思いを出していけば必ず伝わる人には伝わるのが最近の傾向だと感じています。
発信を(細々と)続けて起きた私の変化
6年前に発信の真似事をはじめ、投稿頻度を上げて頑張った時期もあったり、ほとんど休止のような状態のぽつぽつとした投稿だったりを繰り返してきました。
この間で感じる世の中の変化は先述しましたので今度は自分自身に起きた変化を書いてみます。
結論を最初に書きますが、どのポイントで振り返ってみても『発信はしていて良かった/しないよりはしていた方がいい』と思っています。
理由としてまず、自分を出すことへの抵抗が減ります。
前回のブログの顔出し実名が怖いというのもそうですが、とにかく発信を始めたばかりの頃って自分の思うこと・感じたことを言語化してアウトプットするというのがとてつもなく難しく、本音をさらけ出すことへの抵抗が大きかったです。
心のブレーキというかブロックみたいなものがあって、こんなの書いていいのかな?と消しては書き消しては書き…
随分かっこつけて取り繕った文章の投稿をしていた記憶があります。
そんな状態から始めた私でも、続けてみると今はかなり本音をすらすらアウトプットできるようになりました。
そしてそれは、より自然体で生きることにも繋がりました。
発信は、取り繕ってしまうと間違いなく続かないんですよね…。
ですので発信を続けていると自ずと自分を出せるようになってくるんじゃないかなと思います。
言葉の力は偉大
言葉にして発信し続けていると、自分の思考や考えがどんどんクリアになってくるというのも発信のメリットでもあり、私の身に起きた変化です。
感じること、思うことを言葉にする
しかもそれを第三者に見せて、反応をもらう
言葉にするだけだったら個人的に日記に書いていても十分です。
それだけでも思考は随分スッキリすると思います。
発信との違いはそこからさらに第三者に見てもらって反応をもらうというところですよね。
他人に見せるものとなったら言葉のチョイスとか伝わりやすさが重要になり、論理的な文章の書き方を考えることになります。
そうなると、どんどん自分の思考がクリアになって「私はこういうことが好きなんだ」「私ってこういうことを大事にしているんだ」と書きながら気が付くこともあります。
自分というものが確立していくのも発信していて私に起きた変化です。
一人ひとりが発信していく時代
何か好きなことがあるわけでもない、特にやるつもりもない。
そんな人でも私はやっぱり何かしら媒体をもって発信できる場をこしらえておくのはメリットしかないと思っています。
今は何もなくても、何年後かに何かと出会ってやってみようと思うかもしれない。
その時に全く何もフィールドがない状態から起こすのより、すでに持っているプラットフォームから始める人とではファーストステップの大変さが大きく異なるからです。
それに何かしら発信の場をもっていると新たな交友関係がうまれたり世界が広がることもあります。
自分を振り返ってみてもそういうことは多々ありました。
世の中的には内容の本質・コンテンツ重視にどんどん傾いていき、わたし個人としては自分というものがどんどんクリアになっていったこの数年間。
少しでも興味があったらまずは個人アカウントや個人ブログからでも何か発信してみませんか?
さて、次回は発信とは離れて私のやっている手作り生活のご紹介をしていきたいと思います。まずはうるさく投稿している米粉について書こうかな…(笑)
コラム『手作りのある暮らし』 次回更新2月5日(水)